***まなまなえん***なおの妊娠記録
2003年12月 予感
クリスマスあたりに来るはずの生理が、札幌に帰省する29日になっても来なかった。
いつもけっこう正確に来るから、これはおかしい。
もしや・・・
2004年1月 第2子妊娠発覚
結局、帰省している間に生理来るかと思って構えていたが来なかった。
東京に帰ってすぐに妊娠検査薬でチェック。
おぉ!やっぱ陽性だよー!
このまま行くと年子か・・。
実は2歳くらい間あけてのんびり二人目、にしようかなとか思っていた。
(のわりにたいして気をつけてなかったから妊娠したのだけど。)
いやー、まぁそれもいいか・・。きっと楽しいことになるに違いない。
私も妹と1歳半違いの年子で楽しかったし。
早速パパにメールで報告。
超喜んでくれた。パパは年子がいいなぁとか密かに思ってたらしい。
初耳だが・・・なるほど。だからパパもあまり気をつけてなかったのかな(笑)
2004年1月 妊娠確定
1月8日(木)
パパにまーをみててもらって、前回8ヶ月までお世話になった産院へ行く。
詳しい検査の結果、やっぱ妊娠していた。わぁい♪
予定日は9月7日。心音はまだ。
もうハラは決まった。両家の実家に報告。
みんな「もう?」とビックリしていたが、喜んでくれた。
1月なかばあたり
健診で心音を確認できたので、母子手帳もらいに役所へ行く。
二人目もできたということで、コレを機に札幌へ移住しないかとパパと相談。
私の実家も札幌でパパの実家は江別市(札幌のとなり)。
頼れる親戚がいっぱいいるので何かと安心だからね。
いまのパパの仕事は日給月給の肉体労働系の職人さんで、保険などの保証が心もとないというのも
理由のひとつ。北海道は就職難で大変だけど、探せばなにかあるだろう。
食べるくらいはなんとかできるはず。私も働いたっていい。
パパの実家に同居でも全然かまわない。ぜひ行こうと説得。
パパも (しぶしぶ?) 承諾してくれた。
私のつわりも落ち着く (であろう) 5月あたりがいいんじゃないかということに。
2004年2月 まー1歳になる
2月8日(日)
まー1歳の誕生日。
私もご馳走など作るのはダルイので (ごめん・・) メニューは、鍋。
それと、雑誌に載ってた 「小さい子でもたべられるにんじんケーキ」というのを作ったが、失敗 (;つД`)
うまくふくらまなくて、下半分がベタッとするヤバケーキに。
なにがいけなかったのか・・。焼き時間と温度の問題か。
何度も焼いて研究する気力も沸かない。
もうこのにんじんケーキは、作らないでおこう。
2004年3月 妊娠4ヶ月
3月22日 15週6日 4ヶ月の健診
今日から腹囲や血圧など測定。
とりあえず何も異常はない。
体重は、順調に・・・増えている (笑) 増えすぎないように気をつけなくちゃね。
初産のときもたいして重くなかったつわりが、今回はもっと軽い感じ。
早朝起きて弁当とか作ってるとたまに吐いちゃうかな、とかいう程度。
やっぱりまーの世話があるからバタバタしているのが逆にいいのか。
それともただの体質か。
そろそろ本格的に引越しについて話を進めたい時期。
お義父さんが知ってる不動産屋を当たって部屋探ししてくれることに。
しかもあっち行ってから仕事がない間は、家賃も世話になる。無利子で、返済は出世払い。
やっほィ。VIVAパラサイト・・~(┌┌┌ ´Д`)┘ ウモァー
さっそくイソイソと、お部屋についての希望をまとめるため会議。
引越しは、パパの仕事の調整とかの関係で5月末日になりそう。
今週あたりから、引越しの見積もりを開始。
全部で5社くらい来てもらって、実際に見てもらって比較検討。
2004年4月 引越し準備
最後のハウスクリーニングを業者に頼んだ。
軽い掃除くらいはなんとかなっても、荷物運び出した後はその日のうちに私も
札幌行きの飛行機に乗るのだから (まー連れて泊まれるトコとかないしね。)
不動産屋に明け渡す前の数時間で原状回復はまずムリ!!
というわけでお掃除をプロに頼ることにして気が楽に。
梱包・開包は頼まなかったので、決めたらすぐに梱包資材の半分を届けてもらう。
これに荷物を詰めて・・どこに積めばいいのか。
ちょっと困惑。
まぁまだ2ヶ月ある。それだけあればなんとかなるだろう。
妊娠5ヶ月に入る前に、胎動らしきものがあった。
ずいぶん早い時期だけどたしかに胎動っぽい・・。二人目だから早いのか。
健診でみたら超ちっちゃいのに、もう中から腹を蹴る(叩く?)とはなかなかやるな。
2004年4月 妊娠6ヶ月・逆子
4月20日(火) 20週0日 今日からぎりぎり6ヶ月目、の健診
パパの仕事の都合がつかなかったので、区のファミリーサポートセンターを利用。
一時間800円で子供を預かってくれる人を紹介してくれるシステム。
普通のオバチャンとかが登録していて、一般家庭で預かってくれるのだ。
ちょうど産婦人科と家の間あたりに住んでいる適任者がいたので、お願いすることに。
私の母よりちょっと年は上か。もう何人も面倒みているというベテランさんだから
子供の機嫌の取り方も手馴れていて安心。
怪我などの保証についても、センターのほうできっちりやってくれるしね。
こういうシステムって、私のように周りに親戚とかいない場合はほんとに助かる。
健診はのほうは、、一ヶ月で体重が2キロ増えちゃってた。
しかも、逆子ちゃんになってた。まーのときもなったが、クルクル回りやすい体質なのかな;
まだヨユウがあるから、焦って逆子なおす体操とかしなくていいんだって。
ていうか、月齢が早いうちはしちゃいけないらしい。
おりものの検査で、ナントカいう菌発見。
妊娠中になにかあるような菌ではないから、今は治療は必要ないとのこと。
出産直前に点滴とかで感染を押さえるんだって。
へぇー;
なんか男の子っぽいと言われた。それらしいの が見えたそうだ。
パパは女の子が欲しかったらしい。ちょっとザンネンそう?
でも義母に報告したら、「絶対男の子2人のほうがいいよー!兄弟で遊べるから!」
・・それはその通りだ。私も女3人で楽しかった。納得 納得。
2005年5月 妊娠7ヶ月
毎週末、休みのたびにダンボールに荷物を詰める。
主に、私が。 oroz ←妊婦(笑
いかんせん当方子持ちの妊婦のため、なかなか思うように作業ができない。
休日、やっとまーが昼寝に入ったら、パパもまーの隣で昼寝してるyo
いまがチャンスなのにィ・・。
5月10日(月)
お義父さんから、引越し先候補のファックスが届く。
「古くて風呂が超狭いけど全体の広さは今と同じくらいで、
1Fにあるお部屋で、私の実家から徒歩10分」
という大変便利そうな(笑)物件を選んだ。
5月14日(金)
夜からまーが発熱。38℃もある。
よりによってパパのお仕事が深夜までかかる日なので、私が看病する。
どんどん熱が上がってるぽいが、受診しようか迷って結局行かなかった。
自宅で冷えピタとか貼って様子を見る。
深夜1時過ぎまで帰れないハズのパパが、まーの様子を心配して
お仕事そこそこに11時くらいに帰ってきてくれた。
土曜はそのままあまり下がらず一日過ごす。
日曜の朝には、まだ微熱が残るものの、ようやっと元気になった。
しかし・・引越し作業の最後の追い込みができなかった。
週末はあと一回。
部屋は、半分くらい荷物が出たままだ。 ひえー;
5月24日(月) 24週6日 妊娠7ヶ月の健診
パパとまーと3人で健診へ。
ベッドに横になって超音波検査の準備ができたところで、パパとまーが入室。
ママが見たこと無い状態 (ベッドに横) になっているのがイヤなのか、まー大泣き。
先生の話も聞こえないので、とりあえずお腹のべビの様子だけ見たら早々に退室してもらう。
パパごめん ; ・・・病院へ行くとまーが落ち着かないので、付き添ってもらえてほんと助かる。
今回の検査で、男の子ということがほぼ確定。
逆子ちゃんは、知らないうちに直っていた。よかったー♪
札幌行きも問題ないようで一安心。
パパは、女の子を育てて
「パパとけっこんするー」って言われたりとか、ゴスロリっぽい超フリフリの服着せたり、
将来カレシを連れてきた時には「どこの馬の骨か!オマエにおとうさんと呼ばれる筋合いはナイ!!」
とかやりたかったんだって(笑)
カレシ連れてくるとこまで想定してみるとは驚いた。
でも男の子と判明しても、それはそれで楽しそうだよなぁと新たな夢を描いている様子。
子供大好きだから、どちらにしろ可愛がってくれるに違いないのだ。
そこらへんは、全く心配はないということで♪♪
5月28日(金)
今日で、東京でのパパのお仕事がおわり。
あと3日間で、荷物をまとめる。
3日間、平均3時間くらいの睡眠時間でがんばった。
この時期でほんとうによかった。つわりはほぼなくなっており、お腹もまだそれほど大きくないから
なんとか作業ができる。
でも・・つかれた。oroz
2004年5月 引越し・札幌へ
5月31日(月) お引越し
前にファミリーサポートセンターで紹介してもらったオバチャンに、
またまーを預かってもらう。
8時に作業開始して、午前中にはほとんどモノがなくなり。
最後にお掃除してもらってる間にパパと駅までプラプラお散歩。
うどんを食べ、コンビニで立ち読みし、喫茶店でお茶。
ちょっと日差しと風が強くて疲れたが、もう歩くことの無い (であろう) なじみの通りを
いっぱい歩いて楽しかった。
パパはバイクで北上することになっており、私はまーと二人で飛行機に乗る。
なんとか夜8時すぎに札幌到着。空港に、妹2人が迎えに来てくれて実家へ。
3日後、陸路で移動していたパパが、江別の自分の実家にズブヌレで到着。(大雨
みんな心配していたので、ホッとする。
2週間ほどのあいだは、アパートで荷物整理しながら私の実家に寝泊り。
2005年6月 妊娠8ヶ月
6月16日(水) 28週1日 8ヶ月の健診
転院して初診。
パパについてきてもらって、まーを見ていてもらって診察室に入る。
前回産んだ総合病院だが、改装が進んで外来もキレイになっていた。
産婦人科の常勤医師は二人。今日会った医師は、多分まーのときいなかったと思う。
めちゃめちゃいい人だった。
わりと若めで、 ペーペー (本人談) らしいが、超音波診断の画面を見ながら
「ここが白くなってると○○という病気の可能性があるけどこれなら大丈夫。
ここにホラ、ずーっとあるのが背骨であたま、手、足、あ、このへんみたら男の子だね。
ここに心臓、腸があってこれ肝臓。すい臓がいまちょっと隠れちゃってるけどこのあたり・・・
ここが白っぽくなってると石化しちゃってる可能性があったりしてマズイんだけど、
白くなってないでしょ。それも心配ない、と。 顔はどうかな、もうちょっとこっち向いてー
お!向いたよ いい子だね!あらー指くわえてるね。おっぱい吸う練習かな。
まだ吸えないけどもうちょっとだから待っててねー・・・」
時計は見てないけど20分くらいか。腹の中の、"異常がある場合の状態"と
"全く正常と判断する理由"について説明をしてくれた。
結局今のところ、ヘンなことはひとつもなかったのだけど。
こんなに長い時間べビの様子を眺めていたのは初めて。
こんなに細かく説明してもらったのも。
「もう一人の先生はベテランで、他の病院の院長をしていたエライ先生だから
次回はそちらに診察してもらったほうがいい」 と言われ、もう一人の先生がいる日に予約を
入れて帰宅。
7月14日(水) 31週6日 妊娠8ヶ月のおわり
パパが無事再就職しお仕事再開していたので、母についてきてもらって健診。
母にまーの相手をお願いして診察室へ。
今回はこないだと違うちょっと年配の先生。べつに普通にイイ先生っぽかったけど、
「男の子らしいですね」って私が言ったら、「いや、わたしは性別は言わない主義なので
それについてはお答えしません」 だって!
もう知ってるんだからべつにいいのでは・・。今時そんな主義とはガンコだなァ。という印象。
2004年7月 パパ事故る
7月16日(金)
夜パパがなかなか帰って来ないと思ったら、帰宅中にバイクで事故ったと連絡あり。
急いで実家にまーを預けて病院へ行ったが、とりあえず命に別状ないとのことで安心。
でも事故のとき一回意識がなくなったし、右足の骨が折れてるし、ほかに痛いところもあるらしいので
しばらく入院してとりあえず精密検査。
パパは足以外は特に異常なかった。
1週間ほど検査入院したのち、自宅から通いやすい病院へ転院した。
右足の甲を粉砕骨折しており、転院先で足の復活のための手術をして
しばらく入院。
乳児と妊婦の二人暮しはキケンだということで、主に実家に寝泊り。
あまり空けとくのも心配なので、まーとお散歩がてらちょこちょこ
荷物とか取りに帰る。
今年の札幌は猛暑。暑いから主に家でノンビリ。
パパの病院へ、母の運転する車で週4回くらい通う。
実家の近くに引っ越して本当によかった。
2005年8月 妊娠9ヶ月
8月6日(金) 35週3日 妊娠9ヶ月
特に変わったところナシ。
体重も増えたけど、1ヶ月で1kg未満だからまあヨシ(笑)
なんか、他の妊婦さんに比べてずいぶんお腹が大きいような気がしていたが、
何も言われなかったから別に気にしなくていいんだと思う。
本当に、この中にはもしや双子が?と思うくらい大きいが。
年配の先生も別に悪い感じではないのだけど。
いっぱい喋ってくれて楽しいから、若い先生のほうがいいや。
帰るとき、次の健診では若い方の先生がいいと、受付で言ってみた。(直接先生に言う度胸はなく・・
2005年8月 妊娠10ヶ月
8月18日(水) 37週1日 妊娠10ヶ月
ついに臨月。あとちょっとだ。
一回体験しているから、(しかも安産だったし)あまり恐怖感とかないけど。
できるだけ、いまのうちに色々やっておこうと必死。
あまり住んでないアパートの、荷物の片付けとかね。
ちょこちょこ時間を見つけて帰っては、ダンボールをたたむ。(越してきてずいぶんたつのにまだあるし
そろそろ、健診も2週に1回になる。
先生に、「予約のときご指名してくれたそうで(笑) 指名してくれるのは嬉しいけど、
産むときは先生選べないから、どちらにも経過がわかるようにしておいたほうがいいので
健診もなるべく選ばないようにね」
と言われちゃったよー。
言われてみれば、そりゃそうだ。産むとき誰が勤務してるかなんて、わからない。
今日も、いっぱい説明してくれた。
超音波検査も、最初と最後にわざわざべビの顔のトコ映してごあいさつ。
やっぱ、ご指名入れてよかったなー♪
と思ったのはナイショ(笑)
2004年8月 出産
8月25日(水)
早朝、定期的なおなかの張りで目が覚める。
10〜15分間隔。マジか。これは陣痛に違いない。まだ予定日まで2週間あるのに。
おしるしらしきものは確認してない。また見逃したかな。
まーとべったり遊んでやれるのもこれまでか・・。
もうちょっとゆっくりするつもりだったが、もう出たいなら、しかたないよね(笑
隣で寝てるまーをそのままにして母を起こし、とりあえず朝食。
病院に電話したら 「二人目だから進みが早いかもしれないね。すぐ来てください」
と言われたので、妹その2に車を出してもらって病院へ。
もう子宮口が4センチくらいになっていたので、朝7時 入院。
すぐ後に、父がきた。
「ついててやろうかなと思って、仕事休んじゃったよー」
マジか。いいのに。(笑)本持ってきたっていうから、読んでてもらってテレビをつける。
陣痛室にゾロゾロと3人くらい看護婦さんっぽい人がきた。
「この子たち大学の看護科から研修に来てるんですけど、
もしよかったらずっとここで見学させてもらえませんか」
えー、ちょっと恥ずかしいけど;
でも別に嫌ってほどでもないので、許可。
とりあえず陣痛の合間に、会話。
父 「ところで名前は決めたのか」
私 「いや、まだなんだよねぇ・・。なにがいいかねぇ」
父 「こんなのどうだ」
私 「ああ、それもいいかもね。どう思いますー?」
看護見習の人 「ああ、それはなかなか賢そうでいいかも。 ていうか痛いわりにヨユウですね・・」
私 「痛くないときはべつにへいき・・あ。いてててちょっときたからごめん」
10時ごろ、朝とたいして状態は変わらない。
ダンナ様のほうのお義母さんがきた。
「かーこ(仮称)ちゃんのおかあさんから連絡もらったから来ちゃった!まだだったのね。
ついててもいい?」
パイプ椅子もう一個ください。
なんだか部屋が手狭になってきた。
父が、ベッドに寝てる写真とか撮ってくれた。
なんの役にも立たないかと思ってたけど、写真撮ってもらえてよかったからいいや。
そしてみんなで名前について会議(笑)
結局これといって良い案も出ぬまま11時になり。
そろそろ痛みが頻繁になってきた。
産道にいる菌(健診で見つかったヤツ)は出産時にべビに影響があるかもしれないとのことだったので、
それを予防するために点滴一本打つ。
昼食が出たが、イマイチ美味しそうなメニューじゃなかったこともあってあまり食べられず。
「いまちょっとけっこう痛くなってきたので」と下げてもらう。
12時過ぎて、かなり痛くなってきた。
いやー、またきたよやだもー・・いてて・・とかつぶやいている横で、父と義母は特になにも
できることがないのでノンキに会話(笑)
まあいい。日ごろなかなか話す機会もないだろうから、しばしご歓談ください。
1時ちょい前に、全開近くなったので分娩台に上がる。
もうこんな痛い思いは2度とゴメンだと思いつつ、そういえば一人目のときにも
そう思ったことを思い出す。
結局、死ぬほど痛くても、喉元すぎればキレイサッパリ・・。
「今度は絶対切れずに産む!!」と固く決意していきむ。
上手にできれば大丈夫だ!きっと!
平日昼間ということもあってか、先生もちゃんといた。
研修生のひとが汗とか拭いてくれた。
枕もとで助産師さんがいろいろ言ってくれてるので、その通りにいきんだりやめたり。
結局、分娩台に上がって30分。いきんでる時間は15分くらいかな。
だー、やっと終わったよ!もう痛くないよ!ばんざーい!!
1:46、3146gで無事出産。
なんと!希望どおり、切れずに産むことに成功(笑)
いや、本当はちょっとだけ裂けたけど、縫うほどでもなく・・。にやり。
何のトラブルもなく無事産まれてよかった。
産んだあと検査をして、初乳を吸わせる。
がんばってチュウチュウ吸っており、かわいい。
まーよりもさらに頭髪が多い(ていうか長い)ような気がするが気のせいか。
前のときはちょっと経ったら助産師さんが連れて行ってベビー用のコット(簡易ベッドみたいなもの)に
寝かせてくれたのだけど、今回胸に置いてったままみんな片付けとかしてて、
「もう疲れたからいいです。連れてってください」 って自分から言っちゃったよー;
連れて行かれる前に看護師さんに頼んで、記念にいちまい(基本)
べビが出てったら歓声がきこえた。ああ、父と義母だ。
「ちょっとまって、横からもう一枚!」とか言ってる。親子だね(笑)
しばらくして分娩室に入って来たので、父に「産後やすんでいる様子」の写真を撮ってもらったりして。
機械類が片付いて誰もいなくなったのでしめしめ。入院中で来れなかったダンナ様に報告報告(手段はひみちゅ)
「さっき産まれたよー!いままだ分娩台の上!(しかもVサインで写メ)」 ダンナ様驚愕。